中心道 新潟支部
和光塾 塾長・加藤克己について
「やってやれないことは、何一つない」
人は多かれ少なかれ、窮地に立たされた経験がある。
その時、何を考え、どう行動するのか。その時に、その人間の本性が現れると言われる。
中心道 和光塾塾長 加藤克己は、人生の窮地に立たされた時、「負けず嫌いさ」と「その窮地を面白がる意識」で、乗り越えてきた。
1970年2月12日、新潟県新津市(当時。現在は新潟市秋葉区)に克己は生まれた。
克己が生まれた二年後、父・健一が事業を始めた。克己が現在代表取締役を務める「和光ベンディング」である。
克己にとって、最初の大きなターニングポイントは大学受験だった。父親と「現役で合格する」という約束をし、志望校を早稲田大学理工学部に定めた。
ところが、受験勉強を始めてみて「これは厳しい」と気付いた克己は、高校三年生の一学期で同大学の政経学部に志望を変更する。
受験間近に、理系から文系への変更。普通の学生ならば、こんな判断はしない。高校の担任も反対した。しかし、克己には勝算があった。
当時の早稲田大学 政経学部は、英語、国語、数学での受験が可能だった。英語と数学に自信があった克己は「英語で満点、数学で満点、国語は現代文だけ満点を取れれば、合格できる」と踏んだのである。
決めたら、やる。それが克己の流儀である。
年末に受けた最後の模試は合格確率35%以下。にもかかわらず、克己は「絶対に受かる」と確信していたという。
なぜか。それだけ、「自分にできることを積み重ねてきた」という自信があったからである。
『あれ以上、勉強できたか?』と聞かれたら、当時で言えば『あれ以上は無理』というくらい取り組みましたからね」と克己は当時を振り返る。
結果、無事政経学部に現役で合格。この経験を機に「やってやれないことは、この世に一つもない」という確信を得たという。
社長だから、率先してやる
大学時代、叔父と共に和光ベンディング 関東支社の立ち上げに参画。大学卒業後も東京に残る予定だったが、父が病に倒れたのを機に、新潟へ帰郷。和光ベンディング本社に入社することになった。
入社後、総務部を創設し、総務部長に就任。翌年には専務として、社内規約の策定や風土改革を手掛けた。
折しも、バブル崩壊直後。いざ入社してみると、毎月「お金がない」状態だった。
メインバンクの経営破綻、取引業者からの多額の保証金要求、グループ会社の業績悪化など、経営課題が山積していた。年末、会社の忘年会をしている裏で「来年一月の運転資金が足りない。みんなで車のローンを組んで、その金で補填するか?」という話をしていたこともあるという。
克己が28歳の時、父・健一が直腸がんを患った。意気消沈する父を見て、克己は言った。
「社長、代ろうか」。
かくして、克己は和光ベンディングの代表取締役に就任する。
克己は、自分が仕事をする意味を「人材を育てるため」と言い切る。仕事を通じて、自分の人生を生きる人が増える。それは克己が考える「自由な人が増える」ということ。「その方が、世の中面白いでしょ」と、克己は屈託なく笑う。
克己の人材育成の基本は「裸になる」こと。父・健一が推進してきた理念経営を継承しつつ、社員に対して「裸の自分」を見せることを意識しているという。
言い換えると「社員と同志になる」ということ。
例えば、以前は幹部社員と富士山に登る研修を行っていた。当然、克己も一緒に登る。そして、下山後は全員で富士山のすそ野にあるスナックへ行き、全員裸になって歌う。
しかも、克己が率先して裸になるのだという。ここでは実際に「裸になる」が、もちろんこれは比喩表現でもある。
社長だからやらない、ではなく、社長だから率先してやる。それが克己流である。
人生最大のピンチ、その時克己は
2015年、中心道に入門。中心道での学びを経て、これまで学んできた様々なことが統合できたという。
そして、これまでも様々な窮地を乗り越えてきた克己を、最大の困難が襲うことになる。
2018年5月18日。中心道総本山、熱海にある「悟空庵」(当時)でのこと。
稽古に参加しようと準備していた克己の左手に、一瞬電流が走ったような感覚があった。そして次の瞬間、尋常ではないしびれが左のつま先から顔面まで走り渡った。
13時35分、緊急搬送。診断結果は「右視床出血」。脳出血であった。
左半身が動かない。
苦しみや不安よりも「理解できなかった」と克己は言う。
緊急搬送から二週間、熱海の病院で入院生活。
動かない左半身。介助がなければ、立つことすらできない。リハビリをしても、どれだけ回復するかもわからない。それでも克己は、入院翌日からリハビリを開始した。
「なぜ自分がこんな目に遭うのか」
「このまま、半身不随になるのではないか」
「仕事は、家族は大丈夫か」
・・・・・・。
状況が飲み込めていくにつれ、「なぜ自分が」という憤りや未来に対する不安、リハビリの辛さなど、負の感情が生まれてきたはず。
しかし、克己はこの状況を受け止めた。
そして、「奇跡を魅せる」と決めたのである。
それは、師匠である須田達史からの言葉でもあった。
「奇跡を魅せるチャンスだね」
このメッセージを読んで、克己は「本当にそうだよな」と思ったという。
そこから克己は日々身体と向き合い、真剣にリハビリに取り組んだ。
そして現在は、杖を使って一人で歩き、日常生活を送れるところまで回復を果たしたのである。
病気について、今、克己はこう考えているという。
ーーーーー
脳出血を「今すぐ治してくれる」と言われたら、「はい、お願いします」と答える。
でも、「病気にならなかったらよかったか?」と聞かれると、正直なところ返答に困る。
病気になってみて気付いたこと、ならなければ気付かなかったかもしれないことがたくさんある。
でも、「もう一度なりたいか?」と聞かれたら「もう嫌です」と答える。
ーーーーー
中心道の創始者であり、克己の師匠である須田達史は、こんな言葉を遺している。
「目の前に起こる現象は、自分自身がつくりあげた完璧な作品である」。
克己の人生に起こった様々な苦難や窮地は、本人が望んだものばかりではなかったはず。
しかし、実際には克己自身がつくりあげたものでもある。
ここで最も大切なことは、その現象をどう捉えるか。
克己は自分がつくりあげた現象を受け止め、落ち込むことも、逃げ出すこともせず、面白がって乗り越え続けてきた。
それが「奇跡」となって、いま私たちの目の前に現れている。
なぜ、克己がそう生きられるのか。それは、彼が本当に「自由」だからだ。
自由とは「自らに由る(みずからによる、おのずからによる)」。
全てを自分の意志で決断していると認識する。言い換えれば「自分自身を理由にする」ということ。
だから、目の前の現象を受け止め、面白がって乗り越えていける。
そして克己は今、「人材育成」を行うために仕事をしている。
自分の人生を生きている人が自由な人。
自由に生きることこそ、自分の本分を生きるということ。
それを伝える場こそが「寺己屋(てらこや)」、和光塾なのである。