武道の叡智と人間学とを掛け合わせた「文武両道」の学びを目指す中心道。
その中心道の新潟支部であり、自分の人生を自由自在に生きられる人を増やす塾。
それが、「中心道 和光塾」です。
このブログでは、中心道新潟支部 和光塾のメールマガジンを抜粋・転載してお送りいたします。
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こんにちは。
中心道 新潟支部 和光塾 塾長の加藤克己です。
皆さん、憧れてますか!? と、妙なテンションで始めましたが(笑)
「憧れる」ってすごく大切だと私はずっと思っているんです。
自分が好きな人でもいいしカッコイイと思う人でもいい。自分の「師匠」でも、実在する人物でも、マンガの登場人物でも、どんな人でもいいんです。
「その人に近付きたい」とか「その人になりたい」と、とにかく純粋に、素直に思うこと。
これがとても大切です。
自分に力が付いてくると、若かった頃に設定した「師匠」のアラとか、ヒドイところが見えてくる・・・なんてことがよくあります。
私にだって、ありましたよ。
「師匠、ヒドイなあ」とか「理不尽なこと言うなあ」とか「そんなこと言う?腹立つ!」とか。

でも、今からヒドイことを言いますよ。
「理不尽」って、めちゃくちゃ大事なんです。
自分が師匠とした人や憧れた人がどれだけ「スゴい人」だとしてもいや、スゴい人であればあるほど、同じくらい「ヒドイところ」があるもんです。
理不尽なことをされたり、言われたりして、感情が揺さぶられることも、多々ある。
それでも、その「憧れた人」や「師匠」に近付きたいと思えるかどうか。
そして、その理不尽さの中から「自分が何に気付くか」が大切なんです。
例えば、憧れの人や師匠がとてつもなくダメ人間だったり、自分が思ったような人ではなかった時。
「現実」は変わりません。でも「どう捉えるか」は変えられます。
「信じてたのに、裏切られた!」と泣きはらして、その師匠の下を離れる。もちろん、それでも構いません。
でも、それを続けていると、おそらく他のところでも同じことが起きるだけ。
大切なことは、その理不尽を自分自身がどう見て、どう捉えるか。
私の師匠の一人、田山敏雄は天才的な「理不尽」の使い手でした(笑)。
あの手この手でこちらの感情を揺さぶってくる。
でも、捉え方や見方を変えると、だんだん、腹が立たなくなってくるのです。
これこそが「訓練」なんですよ。
田山敏雄は意図的だったと思いますが、誰かに憧れ、師匠と仰いだ時には必ずその人が意図したにせよ、意図せずにせよ「理不尽なこと」は起こります。
なぜなら「師匠」や「憧れた人」に対して我々は期待と信頼を寄せるからです。
それが裏切られた時に「理不尽だ!」と思う。
これは「そういうもの」なんですよ。だって師匠も人間ですから、全部が全部こちらの思った通りの素晴らしい人、というわけではないのが当然です。
だからこそ、捉え方や見方を変える。
そこで感情が揺れなくなったら、一人前ですよ。

でも「感情」が湧き上がることはある。腹が立ったり、イヤな気持ちになることはあるでしょう。
基本的に「感情」はコントロールしきれないものだと、私は思っているんです。
だから、私は「笑いに変える」んです。
腹が立つ、イヤな思いをした、理不尽な扱いを受けた・・・。
そんな「笑えない」時にこそ、笑う。
ニヤニヤとかヘラヘラではなくて大声で、大笑いするんですよ。
大声で笑って、モヤモヤを払う。イヤな思いを吹き飛ばすんです。
そして、自分の中を空っぽにして「どういうマインドを入れるか?」を改めて決め直す。
入れ直す、と言っても良い。
大笑いした後は「どうするか」を自分で決めるんです。
再び師匠についていくのか、それとも袂を分かつのか。
もちろん、どちらでも良いんですよ。
ただ、自分の気持ちは自分で選べると知っておいてほしいなと思いますね。
まさに、バカボンのパパですよ。
「これでいいのだ!」
誰かに対する怒りや苛立ち、期待を裏切られた悲しみ。
こういった感情を持ち続け、師匠や憧れた人から離れたいと思う・・・ということもあるでしょう。
でも、それよりも大切なことは「師匠から何を教わってきたか」だし「どんな関係を築いてきたか」
じゃないですか。
だからこそ、怒りや苛立ちを一旦受け止め、大笑いして「これでいいのだ!」とマインドを入れ替えてみる。
「人間だから、そんなこともあるか」、「師匠だって完璧じゃないよね」と思えるようになるかもしれませんよ。
それでは、今回はここまで。
また、お会いしましょう。