武道の叡智と人間学とを掛け合わせた「文武両道」の学びを目指す中心道。
その中心道の新潟支部であり、自分の人生を自由自在に生きられる人を増やす塾。
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幼少期から青年期の克己にとって、一つの大きな転機が大学受験だった。
克己は父親と「現役で合格する」という約束をし、志望校を早稲田大学理工学部に定めた。
しかし、「このままだと現役合格は厳しい」と判断した克己。高校三年生の一学期に、同大学の政経学部に志望を変更したのである。
受験まで一年を切った状況で理系から文系への変更。
普通に考えると無謀である。事実、教員の多くは「やめておけ」と言ったという。
しかし、克己には勝算があった。
当時の政経学部は英語、国語、数学での受験が可能。
英語と数学に自信があった克己は「英語で満点、数学で満点、国語は現代文だけ満点を取れれば、合格できる」と踏んだのである。
決めたら、やる。それが克己の流儀である。
新潟の冬は寒く、石油ストーブを炊きながら勉強をする。しかし、換気のために窓を開けると、寒くて勉強が続けられない。そこで克己は窓を開けず、酸素ボンベで呼吸をしながら勉強に勤しんだ。
それだけやったにもかかわらず、年末に受けた最後の模試での合格確率は、35%以下。
それでも克己は「絶対に受かる」と確信していたという。
「『あれ以上できたか?』と聞かれたら、当時で言えば『あれ以上は無理』というくらいやりましたからね」と克己は当時を振り返る。
そして、受験。
結果は・・・無事、政経学部に現役で合格。
この経験を通じて克己は、「やってやれないことは、この世に一つもない」という確信を得たという。
次回のブログは克己が大学入学後、アメリカ留学で経験したことをご紹介します。