武道の叡智と人間学とを掛け合わせた「文武両道」の学びを目指す中心道。
その中心道の新潟支部であり、自分の人生を自由自在に生きられる人を増やす塾。
それが、「中心道 和光塾」です。
このブログでは、中心道新潟支部 和光塾のメールマガジンを抜粋・転載してお送りいたします。
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こんにちは。中心道 新潟支部 和光塾 塾長の加藤克己です。
「アドバイス」とか「助言」って本来、誰に対しても同じ・・・であるわけがないんですよね。
例えば、相手の年齢によっても変わる。
20代、30代の人に対してなら、「睡眠時間を削ってでも、好きなことをして忙しくしておいた方がいいよ」と言います。でも、このアドバイスは35歳を過ぎた人や持病がある人には当てはまらないものです。
私は35歳を過ぎた後も「オレは大丈夫だ!」なんて言って忙しくしていて、倒れちゃったのですから。
でも、若いうちに全力を出す、とにかく死ぬ気でやってみることが、後々いい経験になることは多々あります。

大丈夫。大抵の場合は死なないから。
で、全力を出していると当然、大失敗することも出てくるわけです。
それが大切なんです。
「オレは大丈夫」「オレは運がイイ!」「オレなら何とかなる!」という強烈な錯覚は、良い結果をもたらすこともあります。
でも、強烈な失敗やネガティブな出来事に遭遇することもあるんです。
その時、本当の意味で気付くことができる。
「何とかならないこともある」
「自分だけでは上手くいかないこともある」
そう思えた人が、その経験を活かせば、「自力」と「他力」の両方を働かせて本当の意味で成功することができるのです。
自分の限界に挑戦したことがあるからこそ、自分の可能性に気付くこともできるし、限界を受け入れることもできる。
人生が終わる時に「あ、もっと色々できたかもしれない」「こういう可能性も合ったんじゃないか」と思いながらこの世を去るのって、どうですか。
何か、淋しいと言うか、もったいないと思いませんか。
「いや、ぼくは波風立てずに生きていきたい」
「限界に挑戦とか、ムリっす」
「成功しなくてもいいから失敗したくない」
という生き方も、もちろんいいでしょう。
ただ、こういう考え方をしている人は本当に、何も無いままスーッと生きてスーッと死んでいくことになるでしょう。
それが本人にとって本当の本当に幸せだったら、構わないと思います。
ただ、そのまま年齢を重ねていって、本当に満足できますか?とは思いますけどね。
「失敗しない」ということは「経験値を積んでいない」ということ。
人は失敗して、痛い目にあって初めて自分の至らなさや、できていないことに気付くことができる、と私は思います。
「失敗を避けて生きる」ということは「自分のダメなところを見ないように生きている」ことと、ほぼイコールです。
そういう人は、人に何も言えません。何か、それっぽいことを言っても、その言葉が誰かの心を打つことはありません。
そういう人がリーダーになり、チームを率いて仕事をしようという時。

あるいは子どもを授かって、子どもを立派な大人に育てようという時。
失敗を避けてきた人の言葉で、何かを伝えることができるでしょうか。
成功だろうと、失敗だろうと何かに挑んで、行動した人の言葉は誰かの心を動かす可能性があるのです。
ただ、とにかく闇雲にやって「失敗しろ」と言っているわけではありませんよ。
全力を出して挑戦した結果、望んだ結果が出なかったとしても、そこには大きな価値があると言いたいのです。
一方で「避けられる失敗」もあります。
自分では「妻や家族のために身を粉にして一生懸命働いてきた」と思っていたのに、人生の終盤になって奥さまから離婚を切り出される・・・なんて話をよく聞くじゃないですか。
真面目に、それこそ失敗しないように会社生活を送ってきたのに・・・。
これは、ひょっとしたら「避けられる失敗」だったかもしれません。
大切なことは「兆し」を読むこと。
「自分がどう思うか」「自分が何を考えているのか」はもちろん大切なことですが、人間関係においては「相手が何を考えているか」も重要。
周りのこと、奥さまや家族のことにも目を向けて、兆しを読めていたら「避けられたこと」かもしれないのです。
陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる。
上手くいっている時にも、その中には「失敗の兆し」が隠れていることがある。
逆もまた真なりで、上手くいかない時にも、実は成功のきっかけが必ずあるはず。
このように「兆し」を読めれば「要らない失敗」は減るかもしれませんね。
それでは、今回はここまで。
また、お会いしましょう。